「握手」(井上ひさし)

三つの場面で描かれる「握手」

「握手」(井上ひさし)
(「ナイン」)講談社文庫

幼少の頃を過ごした
天使園の恩師・ルロイ修道士に
呼び出された「わたし」。
上野の料理店で再会した
師の握手には、
かつてのような
力強さがなくなっていた。
師は故郷へ帰るにあたり、
皆にお別れのあいさつを
しているのだという…。

短編作品集である
本書「ナイン」の冒頭に
収められているのが
昨日取り上げた表題作であり、
最終作として収録されているのが
本作品です。
「ナイン」が高校教科書なら
こちらは中学校3年生の教科書に
掲載されています。

先日、
たまたま同僚が本作品を題材に、
国語の研究授業を行っていました。
参観して懐かしく思い、
読み返した次第です。
授業でも話題にしていたのですが、
本作品の肝は、
三つの場面で描かれる「握手」です。

一つめは
料理店で再会した際の「握手」(①)。
あらすじに書いたとおり、
力のない「握手」です。
二つめは
それによって思い出した、「わたし」が
初めて出会ったときの「握手」。
つまり回想場面での「握手」(②)です。
そのときの「握手」は
師の握力が「万力よりも強く、
しかも腕を勢いよく上下させる」ために、
「腕がしびれた」くらいです。
三つめは
上野駅の改札口で
別れたときの「握手」(③)。
こちらは「わたし」の方が力強く握り、
「それでも足りずに
腕を上下にはげしく振った」のです。

「握手」①は問題提起であり、
次に続く「握手」②③の
伏線と考えられます。
「握手」②は、初対面の、
つまり子どもであり
不安でいっぱいであった「わたし」を、
師が温かい愛情で包み、
歓迎の意を表したものです。
「握手」③は、
死が訪れつつある師の胸中を
察した「わたし」が、
いたわりの気持ちを表すとともに、
師の姿を脳裏にしっかりと
刻み込もうとしたものだと
考えられます。
「握手」を通しての、
「わたし」と師の立場が、
過去(「握手」②)と現在(「握手」③)で
逆転しているのです。

本作品も10頁の短篇作品ですが、
「ナイン」同様に深い味わいがあります。
そして現在と過去を
重層的に積み上げ、
筋書きに立体感を与える手法、
失われゆくものを
語り手である「わたし」が
惜しんでいる感情、
爽やかさよりもむしろ
いらだちのような複雑な心境を
のぞかせている終末の描写等、
共通点の多い二作品です。

現在も中学校3年生の国語教科書
(たしか光村図書と学校図書の2社)に
掲載されている本作品。
もう一度読み返してみませんか。

※参考までに収録作品一覧を。
「ナイン」
②「太郎と花子」
③「新婦側控室」
④「隣り同士」
⑤「祭まで」
⑥「女の部屋」
⑦「箱」
⑧「傷」
⑨「記念写真」
⑩「高見の見物」
⑪「春休み」
⑫「新宿まで」
⑬「会話」
⑭「会食」
⑮「足袋」
⑯「握手」
※⑧にはストリップ劇場の
 描写などがあるため、
 本書全体としては
 大人の読書本であり、
 中高生向きとはいえません。

(2020.5.22)

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